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スーツスタイルの違いと歴史(イギリス・イタリア)

お世話になっています、ようです。

ストレッチの入ったウェイトの軽めの生地がすごく快適だと気づいたこの頃です。

 

さて、スーツのスタイルの話です。人気の高いスーツスタイルの二つ、イギリス・スタイルのスーツと、イタリア・スタイルのスーツについて触れていきます。

目次

 

ブリティッシュ・スタイルとイタリア・スタイルの画像を並べられても全っ然っ違いが分からない方も多いと思いますし、お店のスーツを見ても違いが分かりづらいと思います。検索すると一応それぞれの画像が出て来ますが、どれがブリティッシュスタイルか当てるのは非常に困難です。ただ、日本のイージーオーダー店で売っているのはあくまでもイギリス/イタリアスタイルのディティールを少し真似た程度で差が出ずらいです。また、今の流行はブリティッシュスタイル寄りのイタリアンスタイルのため、双方の特徴を持つスーツが実は多いです。

 

それでも、実際に二つのモデルを着てみたり映像で見ると印象がかなり違います。なぜかというとスーツというのは立体的なつくりをしており、洋服を特徴づける最大の要素の一つがそのシェイプであるため、実際に人が着ると陰影ができてよくその違いが判るからです。

 

スーツの違いについてより根本的な話として理解するためにはそもそもスーツって何なんだっけ? という歴史的背景から語る必要があります。歴史と共にそれぞれのスーツの個性について触れていきます。

イギリスのスーツの成り立ちと歴史

スーツ発祥の地サヴィル・ロウはエリート軍人・政治家の住宅地

スーツの発祥はイギリスはロンドンのサヴィル・ロウという通りに軒を連ねた紳士服のテーラー達にあると言われています。サヴィル・ロウは1700年代に開発が進んだロンドンのバーリントン・エステートの一画にあり、その名前はドロシー・サヴィル伯爵夫人にちなん付けられました。当時そこは閣僚級の政治家やエリート軍人の住宅地で、英国の目ざとい商人達が集まり彼らが欲しいものがすぐに手に入るよう豪邸の近くに様々なお店が軒を連ねておりました。1800年代中半ばになってくると紳士階級の間で高級な服飾品に対する興味が高まり、上流階級向けの服飾店がサヴィル・ロウに集まりました。

 

チャールズ2世が衣服改革宣言がスーツのドレス・コードを決めた

今でこそはイギリスの衣装には統一的なルール(マナー)がありますが、1600年代のイギリスの社交界では個性にあふれた様々な服が見られました。しかし、倹約などを求めた時の国王チャールズ2世により1666年に発せられた衣服改革宣言によって衣装はベスト、ズボン、シャツ、タイ、上着(寒いイギリスではジャケットというよりコートの形をしている物が多い)の組み合わせに統一されます。

 

エドワード7世が燕尾服をべースにスモーキング・ジャケットを考案

その後、歴史的な変遷をへて1800年初頭から黒のテイルコート(燕尾服)が夜会服の礼服として定着し、男性の衣装はシンプルになっていきました。 

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燕尾服(出典en.wikipedia.org) 

しかし、1800年代中盤にそのスタイルが転換されていきます。サヴィルロウの37番地にアトリエを持ち、その後ブリティッシュ・スタイルスーツの父と呼ばれるHenry Pooleがいました。彼の店に1860年頃とある人がやって来ました。英国のウェールズ皇太子エドワード7世です。彼はテールコート(燕尾服)と同じ布からテールレスのスモーキング・ジャケットをオーダーしました。

 

スモーキング・ジャケットとは

この当時夕食時は燕尾服を着ることがマナーであり、夕食時の様子はとても上品ですが堅苦しい場であったそうです。そのため、夕食後になると男性はラウンジ(喫煙室、スモーキング・ルームとも呼びます)にて煙草を燻らせながら男性同士で好きな会話やどの強うお酒を楽しむことが習慣でした。しかし、ラウンジで寛ぐにはこの着丈の長い燕尾服はあまりに不便です。そこでヘンリープールの話に戻りますが、時の皇太子でありファッションリーダーでもあったエドワード7世は燕尾服のテール部分をカットしたスモーキング・ジャケットを考案したのです。このスモーキングジャケットがやがて夕食時にも併用されるようになり、ディナージャケット(タキシード)へ変わっていきます。これがスーツの原型となっていきます。

 ※タキシードはディナージャケットアメリカ名です。ディナージャケットがまだアメリカで広まってない時期にニューヨーク州のタキシード・パークの社交界に持ち込まれて有名になったことから、その名前がつきました。 

もう一つのスーツの原型”ラウンジジャケット”

ディナージャケットとは別に、同時帯に着丈の短い服がありました。狩りや釣りの時に着用されていたハンティングジャケットです。代表的なハンティング・ジャケットにディーサイドコートとかツイードサイドコートがあります。(ディー川はスコットランド屈指の大河で、ツィード川はイングランドスコットランドの国境の川です。)

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ハンティングジャケット

 これらのハンティングジャケットは社交服ではなく、より機能的な服です。締め付けは緩く、前合わせを開くといわゆるラペルのような形になるような工夫が施されております。ただ、現在のスーツとは異なりラペルは非常に短いものです。

 

諸説ありますが、ディナージャケットとこのディー/ツイードサイドジャケットの二つが起源となり、ラウンジでより寛ぎやすいラウンジ・ジャケットが形作られて行き、徐々に広まって行きます。つまりはラペルがあり、テイルレス(着丈が短く)、くつろげるゆったりさを持った服です。特にエドワード7世がこのラウンジ(喫煙室)で着るテールの短いジャケットを様々な場で着るようになると、テールコートに比べると取り回しが良いためか、上流階級の人たちに広まっていき、さらにはラウンジの時以外にも人前で着られ服装として受け入れられるようになりました。

 

ブリティッシュ・スタイルスーツの出現

当時の服装はジャケット、ズボン、ベストはそれぞれ別の布地から作られることが一般的でした。しかし、1860年頃になるとラウンジジャケットが今のスーツの原型となる同じ布から上下作成するラウンジスーツへとスタイルと変化していきます。

 

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 ラウンジスーツ(出典en.wikipedia.org)

その後、ロンドンのサヴィル・ロウに集まるテイラーがイギリスのスーツ・スタイルを主導しながらラウンジスーツが徐々に形を変えて、1910年頃にほぼ現在と同様の形になります。そして、サヴィル・ロウのテイラーはもともとは大物の政治家やエリート軍人に貴族や王族を顧客にしていたためか、ラウンジスーツはディナージャケットのようにラペルが長くなり、肩が強調され、ウェストの絞りをタイトにすることにより、お洒落さというより、エレガントで力強い男性のシルエットを見せることに重きを置いたスタイルが主流になり、イギリス・スタイルのスーツが醸成されていきます。

イギリスのスーツの特徴

イギリスのスーツの歴史背景から分かるように、上流階級の衣装として発展しております。また、燕尾服などと比べると着心地はいいのですが、威厳を形作るために体型のシェイプを整形するので、スーツが窮屈になりやすい特徴があり、快適性やファッション性より伝統や格式を重視する傾向がやはりあります。

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  • アイロンワークでキュっとウェストを絞りパッドを肩へ傾斜するライン
  • パッドを入れた構造的な肩
  • きつくても威厳とエレガンスさを重要視。
  • 寒い地方のため生地は厚くなりやすい
  • 燕尾服がベースとなっているため裾は長め
  • コージライン低め
  • 斜めになったハッキングポケット
  • 重厚感のあるダブルブレスト/シングルブレスト
  • 基本的にジャケットは脱がず、ベストを着るためパンツの位置は高め

ウェストをシェイプさせるよう作りこんだ構造的な形や肩パッドの所など特にわかりやすいブリティッシュ・スーツの特徴では無いでしょうか。特にイギリスのスーツの特徴を分かりやすく表現すると、下の絵のような感じになります。ボリュームのある胸、キュッとしまったウェスト、角ばった肩という感じでしょうか 笑

 

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イタリアのスーツの成り立ちと歴史

スーツ大国イタリア

イタリアン・スーツと言っても実はミラノ、ローマ、ナポリなど都市ごとにそれぞれ特徴が少しづつ異なります。特にイタリア北部の都市で作られるスーツはロンドンに近いスタイルが多いです。世界中にイタリアン・スーツが有名になったきっかけは1952年に開かれたフィレンツェのピッティ宮殿でファッションショーでローマ製スーツが発表されたことでした。スーツは元々イギリスの上流階級の間で育まれた衣装であったため、1950~60年頃まではイタリアン・スーツは世界中で広く認知されていた分ではありませんでした。しかし、イタリアには多くの巨大生地メーカーや、スーツのトップブランドがひしめき合うスーツブランドの強豪国にまでなっており、現代のスーツ業界をリードする存在となっています。

スーツの伝来とサルトリア(テーラー)文化の発祥

イタリアのスーツの歴史を辿って行き、1800年代中盤まで遡ります。貴族は自分の館に仕立て職人を呼んで衣装を誂えている時代の中、逆に店に人を呼ぶ仕立て屋というものがイタリアに誕生したのはイタリアが統一される1861年より少し前のことです1850年サルディーニャ島で初めてサルトリア(テイラーの意味)・カスタンジアがオープンしました。これはスーツが今の原型の形になるよりずっと前の時代です。イギリスの上流階級の人間がイタリアにバカンスに訪れた際に彼らの所でスーツ(この頃はまだラウンジ・スーツ)等を仕立て、イギリスのスーツがイタリアで認知されていきます。

産業化していくスーツづくり

イタリアの仕立て屋たちはイギリスのスーツを解体しその構造を調べて自分のものにして行き、1900年代初頭にはイタリアのサルトリアの評価は国内で絶賛されるようになります。さらには、仕立てられたスーツを社交の場で着ていくことを意識し始めるまでになり、 1800年代後半から1900年前半にかけてサルトリアでの仕立服着用する文化も根付いていきます。また、その傍らでイタリアでは生地産業も確立されていきます。アルマーニのファーストラインのスーツを製造していたVestimenta社を輩出したSomma社は1865年ミラノの郊外のSomma Lombardoにてウールの生産を始めました。1910年、18歳若きErmenegildo Zegnaビエラの近くアルプス山麓に位置するトリヴェロのゼニアの織物工場を設立しました。ゼニアは調達から紡績、染色、製品化まで一貫して生産し、1938年にはアメリカに輸出する企業になります。

 

イギリスはサヴィル・ロウを中心としたテイラーと上流階級がスーツ産業をリードしていく一方で、イタリアでは新進気鋭の産業家達がスーツを一大貿易産業へと成長させていくのです。

イタリア初の男性ファッションショー

1945年、すでにテーラーとして名声を得つつあるナザレノ・フォンテコリとセールスマン兼フィッターであるガエターノ・サビーニの二人はイタリアはローマのバルベリーニ通りに後に世界トップブランドとなる富裕層向けのスーツブランド、ブリオーニを創設します。そして1952年に、ブリオーニはイタリア史上初の男性のファッションショーをフィレンツェのピッティ宮殿で行います。 

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重厚な素材を使うブリティッシュ・スーツに反して、気候の温かいイタリアならではの軽やかな素材で作られたブリオーニのスーツは世界に衝撃を与え、イタリアン・スタイルのスーツが世に知られるきっかけとなりました

 

 こうしてローマ発でイタリアン・スーツが世界に花を開いていきます。その一方で、イタリアのスーツスタイルを語るには触れなくては行けないのがナポリのスタイルです。ローマから北の、ミラノ、フィレンツェと言ったイタリア北部の町の仕立ては実はイギリスのスタイルに近いものが多いですが、イタリアの中でももっとも特徴的なのが南部の町ナポリで作られるスーツです。

イタリア独自のナポリスタイルの発展

港町であったナポリへも早くからイギリスの服飾文化が伝わっておりました。その当時、服を仕立てるときは仕立て職人を呼んでオーダーをするのが一般的だった頃に、仕立て職人であるモルツィエロが店を構えてそこに顧客を招いて仕立てをすることを始めました。そこで働いていたのがナポリスタイルの開祖と呼ばれるヴィンツェンツォ・アットリーニでした。モルツィエロはその技術の高さから上流階級が集まるようになり、大成功しますが第一次大戦の中に閉店することになります。

 

しかし、モルツィエロの出資者の一人の甥であり、モルツィエロで顧客とも親しく交流をし、今でいうスタイリストのような事もしていたルビナッチ・ジェンナーロが周囲の薦めによりお店を1930年にロンドンハウスという名前で再開し、ヴィンツェンツォ・アットリーニもそこに加わります。

 

ロンドンハウスは今までの仕立て屋とは異なり、現在の洋服店に近い形態でした。つまり積極的にディスプレイを飾り洋服をイメージで売る事をはじめたのです。また、アットリーニはスーツに改良を加えて、現在ナポリ仕立てと呼ばれる多くのデティールを生み出していきます。袖口4つのボタンを少しずつ重ねて付けるキッスボタン、直線的にデザインしていたポケットのラインを船底のような緩やかなカーブにするバルカポケット。動きやすさを確保しつつ肩回りをすっきり見せるマニカカミーチャ(雨振り袖)など様々な独自の仕立てが現れます。

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マニカミーチャ

ナポリはミラノなどのイタリア北部の町と比べるととても暑く、また工業化が進まないいわゆる田舎の港町だったため、イギリスで着られるようなかっちりとしたスーツは好まれず、また工業化されずにほとんど手作りでスーツが生産されていたため、スーツのスタイルが独自の形を帯びるようになります。キッチリと鎧のように着込むイギリスでは、マニカミーチャの仕立てなどは考えられない仕立てでしたでしょう。

新しいスーツスタイル ”アンコン”

そしてもう一つ、イタリアのスーツ産業を語るために象徴的なのがアルマーニです。アルマーニは新しいブランドで、1975年にジョルジオ・アルマー二と建築家のセルジオ・ガレオッティがミラノを拠点に展開を始めたブランドで、誰もが聞いたことがある世界を代表する男性服ブランドです。

 

ジョルジオ・アルマーニはもともと医学生をしてたところ徴兵され、その後スーツのバイヤーとなり、さらに職を変えてデザイナーとなった異色の経歴の持ち主です。彼は日頃顧客から要望されていたより着心地の良いスーツを作るために、ジャケットを解体してスーツとして必要な最低限のパーツだけで作成したジャケットを世に出しました。アンコンストラクテッド・ジャケット(アンコン、アンコン仕立てのジャケット)と呼びます。

 

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アンコン仕立てのジャケット

アンコンは通常のスーツジャケットとは異なり肩パットが無し、裏地無し、さらには芯地も使用しないソフトなスーツです。生地も柔らかい素材を使うことが一般的です。軽く、夏の服装にも合わせやすい涼しさがあります。また薄いために体型にフィットして自然なシェイプを表現できるジャケットです。生地のチョイス次第でカジュアル感を出すことができる、とても汎用性が高いジャケットも作られます。イギリスの作り込まれた“構造的”な、甲冑のようなスーツのまさに対極にあるスーツがアンコンです。1980年代にこの新しいスーツは瞬く間に広がって行きます。

 

アルマーニは映画を通して自社のブランドを売り込むなど商業的な成功にも力を注ぎ、カジュアルファッションの展開も広く行っている巨大ファッションブランドと現在はなっています。しかし、その原点にはスーツをファッションアイテムとして切り開いていった近代的なイタリアン・スーツブランドの開祖の一角としての活躍があり、イタリアのファッション産業の層の厚みを感じさせます。

 

イタリアのスーツの特徴

イタリアのスーツの歴史から分かるように、イギリスの様な明確なドレスコードに基づかれてないため自由な発想があり、各都市・各デザイナーのオリジナリティが強くあります。また、イギリスより暖かいため生地が薄く、着心地を重視したものが多く、また国民性から色が艶やかなのも大きな特徴です。

イタリアでは初期の頃から起業精神溢れるビジネスマンが対海外への“ファッション産業”としてスーツ産業を発展させていき、伝統や格式より華やかさを重視するのがイタリアンスーツの根幹としてあるのではないでしょうか。

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  • 肩のパッドは薄い自然な肩
  • ウェストラインは体に吸い付く自然でスリムなライン
  • クッションのないパンツの長さ
  • 低いコージライン
  • 軽やかな生地
  • 基本的にジャケットは脱がず、ベストを着るためパンツの位置は高め

ファッション性を求めるため、年ごとにテイストが異なるのも特徴です。ナポリの場合は軽やかにカーディガンを羽織るように着れるスタイル。イタリア北部の場合は軽やかで自然なラインを持ちつつエレガンスなスタイルです。流行を追うスタイルが多いため、飽きやすいスタイルのスーツも多くあります。イージーオーダー店などではクラシカル飽きのでずらいスタイルを提供することが多いですが、用途をよく考えてながらスーツを選ぶのが良いのではないでしょうか。

 

まとめ

以上、イギリスとイタリアンのスーツスタイルの違いと歴史に触れて着ましたが、いかがでしょうか。

 

イタリアでは各々のセンスに合わせて自由にスーツをアレンジしていきます。スーツ産業は多彩なビジネスセンスを発揮させていく最新のビジネスの現場でもあり、イタリアのデザイナー/サルトリアはより純粋なファッションとして衣服として楽しむためのスーツを提案しています。軍人や王侯貴族を相手としたお堅い生業をしているイギリスのサヴィル・ロウとは大きく異なった進化を遂げていったことが、イタリアのスーツ産業の成功の秘訣なのかもしれません。

 

その一方で、王族の定めるドレスコードが装いを律する中、伝統と格式を重視しあくまでも簡略した礼服としての立ち位置を忘れないイギリスのスーツは時代に流されない確固たる、軸となるスーツスタイルを形作ります。魅力的でセクシーなスーツがイタリアのスーツには多いですが、カジュアル感強く出てしまうこともあります。

 

スーツスタイルの違いと歴史を頭に入れながらスーツを選ぶことで、よりTPOに即したスーツの着こなしを目指してください。